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困っているわけじゃない。でも、もっと知ってみたい。

今でも感じるし、深刻な悩みもない。それでも「自分にはまだ知らない感覚があるのかな」と思う。性的な好奇心を、問題ではなく自己探究として考えるNOYUAのBrand Articleです。

セックスが嫌いなわけじゃない。

感じないわけでもない。

何か深刻な悩みがあるわけでもない。

でも、ときどき思う。

「私には、まだ知らない感覚があるのかな」

それだけでも、十分な好奇心だと思っています。


「悩み」がなくてもいい。

性的なことについて何かを試してみたいというと、

「今のセックスに不満があるの?」

「感じられないの?」

「何か困っているの?」

と考えられがちです。

でも、

困っていることと、もっと知りたいことは別です。

美味しいものを食べるのが好きな人が、まだ食べたことのない料理に興味を持つ。

身体の感覚だって、同じように考えてもいいのではないでしょうか。


「もっと感じたい」は、不満とは限らない。

今でも気持ちいい。

でも、もっと深い感覚があるなら知ってみたい。

自分がどんなことに反応するのか、もっと分かるようになりたい。

それは、

今の自分では足りない

という意味ではありません。

むしろ、

今の自分に、まだ知らない部分がある。

という好奇心です。

私は、こちらの方に興味があります。


性的な好奇心だけ、隠さなければいけない?

知的好奇心。

食への好奇心。

旅への好奇心。

新しい技術への好奇心。

いろいろな好奇心は、むしろ面白い人の特徴として語られます。

でも性的なことになると、

「そんなことに興味を持つのは恥ずかしい」

と急に感じることがあります。

もちろん、誰かに話す必要はありません。

何でも試す必要もありません。

でも、

自分自身にまで隠す必要はない

と思っています。

「私はこれに興味がある」

と自分で分かっている。

それだけでも、自分についての一つの発見です。


興味があることと、何でもOKすることは違う。

性的好奇心が強いということは、

何でも受け入れるという意味ではありません。

むしろ逆だと思っています。

これは興味がある。

これは嫌。

ここまでは試してみたい。

これはしたくない。

自分の好奇心を認めることと、自分の境界線を持つことは両立します。

好奇心があるからこそ、自分で選ぶ。

私はその方が自然だと思います。


催眠に興味を持った理由も、それでいい。

「催眠で感じ方が変わるって、本当?」

「自分だったらどうなる?」

「想像だけで身体の感じ方が変わるって面白そう」

最初のきっかけは、そのくらいでも構いません。

催眠を信じている必要もありません。

むしろ、

「本当かな。自分で確かめてみたい」

くらいの好奇心でもいい。

私が催眠に興味を持っているのも、人を操れるからではありません。

同じ身体なのに、注意や想像によって感じ方が変わることがある。

そこが面白いからです。


「私の場合はどうなるんだろう?」

このセッションで、一番相性がいい問いはこれかもしれません。

「中イキできますか?」

でも、

「必ず感じられますか?」

でもなく、

「私の場合はどうなるんだろう?」

やってみなければ分からない。

だから面白い。

大きな変化を感じるかもしれない。

小さな違いだけかもしれない。

よく分からないかもしれない。

その全部を含めて、自分の感覚を観察してみる。


もっと強く、ではなく。もっと深く。

刺激を強くすることだけが、性的な探究ではないと思っています。

もっと小さな感覚に気づく。

身体の内側へ注意を向ける。

呼吸や力の入り方を変えてみる。

想像と身体のつながりを試してみる。

感じることの解像度を上げていく。

私は、そこに面白さを感じています。


身体感覚や催眠への反応には個人差があります。